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57:『グレート・ギャツビー』

グレート・ギャツビー グレート・ギャツビー
村上春樹、スコット フィッツジェラルド 他 (2006/11)
中央公論新社

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まだ、野崎氏訳は読んでいない。
先に、村上氏訳を読んだ。
わたしが初めて出会ったギャツビーは、悔しくなるほど不器用で、嘘だらけで、無垢で、美しくて、強くて、弱かった。とても。

情景描写が素晴らしい。とにかく素晴らしい。
極細の筆で、丁寧に丁寧に色を重ねた絵のようだ。
芝生に反射する太陽の光一つで、その場面の心情まで様々に描くなど、その表現は斬新に思えた。

物語を通して思える事。
先に読んだ、フィッツジェラルド短編集でも感じたが、ここでも主人公は「喪失」によりその存在感をより輝かせていた。
流れゆく川にびくともしない岩のように、流れゆく時に逆らい立ち続けるギャツビーが、そこに立ち続けていられたのは美しい記憶と、確かな希望があったからで、美しい記憶というフィルターを通してみれば、ただの灯りも甘く輝き、すれ違う人々は全て、希望へ導く光になったのだ。
美しい記憶から現実までの道のりが明らかになると、あの甘く輝く灯りが、ただのつまらぬ灯りとなり、時は流れ人は変わる事を確かに認めた時、その足元は、もろくも崩れてしまったのだ。

あまりに不器用で、なのに創り上げた役を完璧に演じていて、柔らかく不安定な部分を分厚い殻のように守っていたその「役」も、流れる時と変わりゆく人の前では呆気ない程簡単に砕けてしまった。砕けた殻はもう、誰にも元には戻せなかったし、戻す必要も無かったのかも知れない。
ただ、その破片が付けた傷は、語り手であるニックや、読み手であるわたしにいつまでも残り、消えないのだと思う。

だけどその傷もいつか、美しい記憶となり、白く輝く世界で絵本の中の王子様のように笑うギャツビーしか、呼び起こさないのだろう。
時の流れには逆らえないし、いつまでも流れの一点に立ち続けると危険だ。分かっているけれど、美しい記憶にいつまでも頬ずりしていたいし、それが許されぬのなら、記憶など欲しくない。
そうやってふと、時の流れを憎むと、ギャツビーの「人に永劫の安堵を与えかねないほどの、類い希な微笑み」が見える気がする。

なんだか危険な小説だ。

56:『フィツジェラルド短編集』

フィツジェラルド短編集 フィツジェラルド短編集
F.S. フィツジェラルド (1990/08)
新潮社

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『グレート・ギャツビー』を読んでも無いのに、先にこちらを読んでしまった。後先なんて関係無いかも知れないが、やはり、フィツジェラルドと言えば、『グレート・ギャツビー』だろうし。
長編より先に短編を読み、その作者の色を探るのが好きで、思い返せば、サリンジャーも、『ライ麦畑でつかまえて』より先に、『ナイン・ストーリーズ』を読んだのだった。

さて、何故これを手にしたのかと言えば、訳が野崎孝氏であった為である。サリンジャーの作品をいくつも訳した方であり、わたしはそれらを読むことによって、彼の訳のファンになっていた。書店にて『フィツジェラルド短編集』を手にした時には、野崎氏の名前だけで買う事を決めたくらいで、恥ずかしながら、"フィツジェラルド"という名前は知らなかった。後に、村上春樹氏が好きな作家の一人であり、また、村上氏もフィツジェラルド氏の作品をいくつか訳していることを知った。(ちなみに、村上氏訳『グレート・ギャツビー』を買いました。楽しみ。)こうして考えると、本の色合いは繋がっていくものである。

話がわき道にそれてしまったので、『フィツジェラルド短編集』を読んでの感想に戻る。
こちらは六編の短編で構成されている。全体として、どの主人公も不器用な程真面目であり、どの話も喪失感を伴っていて、「喪失」によって主人公が輝くという結末を持つ。わたしとしてはこの六編に優劣つけがたい。どの話も起伏がはっきりとしているので大変読みやすく、すっと世界に入り込む事ができた。
「喪失感によって主人公が輝く」と書いたけれども、決して救いようが無いほど悲劇的な結末では無い。だからといって、ハリウッド映画のようなハッピーエンドでも無い。人生ってこういうものだよなぁと、深いため息が、つい、出てしまうような感じ。例えば、『乗継ぎのための三時間』の最後を締めくくる、「人間の後半生というのは、いろいろなものを喪失してゆく長い過程なのであってみれば、今度の経験も格別どうというほどのことではなかったのかもしれない。」という文章のような。

どの話も対立する二つの面が描かれているのも特徴だと思う。アメリカ北部と南部、西部と東部、アメリカとヨーロッパ、男と女。どちらにも愛すべき面があり、反発したくなる面もある。まさに人生も対立する二つの面を常に感じるもので、時にはぴたりと融合し、時には真っ二つに分裂しながら、進むものだ。その間に様々なものを喪失し、喪失した結果、決して失いたくないものを見出す。失ったものを悔い続けてもそれは戻らないが、違った形で戻ってくる事もある。そんな事を、感じる事ができる。

そしてその、対立する二つの面は、残酷にも勝手に過ぎていく時間の中で様々な顔を見せ、立ち止まりたい、もしくは戻りたいと願う主人公の体を無理矢理にでも前へ進めようとする。

それこそ、人生。きっと。
全てが思い通りにはならない、だけど人は自分を守り、大切な何か(それが思い出であれ)を守りながら生きるのね、と、切なくなった。

<追記 2006/12/12>
一つ一つの話がとても魅力的なので、時間をかけて語りたくなってしまう。しかし、だらだらとした文になりそうなので、ここで終了とする。ちなみに、この六編のうち、五編は主人公が男性で、彼らを取り巻く女性達とのエピソードがとてもリアルな為(時代は違えど、手に取るように理解できる心のやり取りをしている為)、読み手によっては昔の思い出を掘り返されチクリと心が痛むかも知れない(わたしは、痛んだ)。また、女性と男性では読んでからの感想が全く違うと思うので、是非男性側の感想を聞いてみたいと思った。

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