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65:『詩を読む ―詩人のコスモロジー』

詩を読む―詩人のコスモロジー 詩を読む―詩人のコスモロジー
谷川 俊太郎 (2006/10)
思潮社
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詩を読むことや、詩を書くことについて、様々な時や場面で語られた言葉を集めた「詩論集」(こんな言葉って、あるのかな・・・??)

マザー・グースについて、プレヴェールについて、
日本で活躍する様々な詩人について、作家について、
そして、自分自身の詩について、
生について、死について・・・。

谷川俊太郎という詩人に触れることは多々あっても、
谷川俊太郎という男や人に触れることは、なかなか無い。
そういった意味で、興味深い内容になっている。
また、詩人が詩について語るという意味で、
谷川俊太郎作品以外のものも含め、様々な詩について、今まで気がつかなかった読み方や、視点の置き方も、教えてくれる。


ところで、谷川俊太郎という人は、全ての感情や事柄が言葉になってしまうようだ。
それはきっと、苦しいだろうと思う。
どんな事も、自分自身を見つめる時も、ただ一人の女性を愛する時も、ベートーベンを聴く時も、全てが言葉になっている。
言葉にしたくてする、のではなくて、言葉になってしまう、ように見える。そんなもどかしさが、あちらこちらで見える。宮沢賢治の作品を語っている時も、茨木のり子の詩を語っている時も。

後半は、自身について語っているのだが、
中に、「私の死生観」と題したエッセイがある。
そこには、こう書かれている。

 「 死生観というようなものは、もっても無駄である。観念に過ぎないからだ。観念通りに死ぬことが出来ないのが現代である。だいたい死生を「観る」と言ったって、観ることが出来るのは生だけであって、死は観ることが出来ないし、その生ですら他人の生をかいま観るのがせいぜいで、自分の生はなかなか見えるものではない。目は外に向かってついているからだ。とすると、あとは自分の内心と社会のしきたりとの折り合いをどううまくつけるかということになる。」



死ぬことを考えるという事は、すなわち、生き方を考えることだという、彼の話はとても面白く、時に笑いをこらえつつ読んだ章だ。
ユーモアたっぷりに書かれているのだけれど、この、冒頭の部分にある「目は外に向かってついている」という言葉にはギクリとした。
こういった内容の言葉は、この本の随所に書かれていて、どうやら、谷川俊太郎の持つテーマらしい。

目は外に向かってついている。
主観を取り除く事はできない。

わたしも既に考えていた内容で、きっと、誰もが一度は引っ掛かる、「客観と主観」。
谷川俊太郎は、それを常に考えていて、死ぬまで(死んでも)見ることの出来ない自分自身から発せられる様々な感情を、言葉にして外へ排出しているようだ。鏡に映った自分の身体も、外へ向かった目が、対象に映し出された自分自身を中から見ているという風に捉える。
いつまでも抜け出せない主観。それが、文体に現れてしまうことなどにも触れている。

どうやら、彼は、悩むのが趣味のようだ。
・・・、言い過ぎかしら。
こんな言い方をしては失礼なのを承知で言うのだけれど、この本のあちらこちらで、深く共感する部分が多くあった。
どうしても、似ているように感じたのだ。こんな平凡なわたしに、似ているなどと言われて文句が出そうだけれど、ここは独り言として流していただきたい。
共感しすぎて、すこし、怖かった。

ゲストエッセイとして、四元康祐が書いた『「谷川俊太郎」という劇』の中に、

「詩は、本来、無言で生きて、味わうべき世界を、言葉を分子として構成された別の現実に置き換えてしまう。愛を謳うとき、詩人は愛という言葉と引き換えに、たとえ一瞬であれ、生身の女を裏切っている。本当に愛するのなら、詩人であることを止めなければならない。詩人であろうとするならば、彼は愛することを、生きることを諦めないといけない。美のために真を棄てるのだ。」


とある。
その通りだ。なんと恐ろしい事を、まあ、この方はずばりと言ってしまっている。
言葉に置き換えた瞬間に感じる違和感については、随分と前から感じていたけれど、こういう事なのかと、改めて実感する。そして、背筋にぞわりと冷たい物すら感じる。

詩人には、なりたくない。

64:『詩人の墓』

詩人の墓 詩人の墓
谷川 俊太郎、太田 大八 他 (2006/12)
集英社

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ものすごい本に出会ってしまった。
出会えて良かったのか、良くなかったのか、
実のところ、解らないけれど、
傑作。

今まで読んだ本の中で、
一番短くまとまった、
哀しく、美しく、恐ろしい物語。


読み終えた今、胸が詰まって息が苦しい。
こんなに哀しい話は、そう無いだろう。




男は詩を書いて暮らしていた
娘は男を愛していた
男も娘を愛していた
男は全てを詩に書いた

詩を書くことしか人とつながる手段が無かった

男の内面に潜む空虚さに気づき、娘は泣きながら叫んだ

 

(以下引用)********************************
 
  「何か言って詩じゃないことを
   なんでもいいから私に言って!」


  男は黙ってうつむいた
  「言うことは何もないのね
   あなたって人はからっぽなのよ
   なにもかもあなたを通りすぎて行くだけ」


  「いまここだけにぼくは生きてる」男は言った
  「昨日も明日もぼくにはないんだ
   この世は豊かすぎるから美しすぎるから
   何もないところをぼくは夢見る」
 
  ********************************(引用終わり) 




娘は「あなたって人はからっぽなのよ」と言ったけれど、
そうでは無いと、わたしは思う。
上手くは言えないけれど、
彼はからっぽになりたかったんじゃないかなと、思う。
全ての事象が詩的に見えて、
その実態を知らなくても、それについての詩が出てくる。
花の名を一つも知らなくても、
いくつでも花の詩が書けるように。
そうして言葉が泉のように湧き出る事が、
時々、哀しかったんじゃ、ないかしら。
全ての事が、言葉になってしまうから、
たった今感じた悲しみも、
この腕の中の、愛する人の囁きさえ、
次の瞬間には言葉になって、宙に消えていくから、
彼には何も残らないようで、
哀しかったんじゃないかしら。
虚しかったんじゃないかしら。

だったら始めから、全てを透すガラスのように、
無色透明な存在で、ありたかったんじゃ、ないかな。


詩的な生き方の出来ないわたしには、
そんな読み方しか出来なかったけれど。

読み終えた後、涙が流れている事に気づいた。
何かが胸を埋め尽くし、
それが、自分からあふれ出しそうになり、
苦しくて苦しくて、仕方なかった。


そして、得体の知れない不安に襲われる。
谷川俊太郎さんが、
このまま、どこかへ消えてしまいそうに思えてくる。
「詩」という神様(もしくは悪魔)に呑みこまれてしまうのではと、
不安でならない。

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