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78:『螢・納屋を焼く・その他の短編』

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)
(1987/09)
村上 春樹

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以下、七つの短編から成る短編集。
 ・螢
 ・納屋を焼く
 ・踊る小人
 ・めくらやなぎと眠る女
 ・三つのドイツ幻想 
  1、冬の博物館としてのポルノグラフィー
  2、ヘルマン・ゲーリング要塞 1983
  3、ヘルWの空中庭園



「螢」

どうも読んだことがある、
どうもこの場所を知っている、
この「彼女」と呼ばれる女性は、
もしや「直子」という名前では・・・、
等と思っていたら、やはりそうであった。
「螢」が元で「ノルウェイの森」が書かれたそうだ。
途中までは、まったく一緒だ。
小気味良い静けさというか、
快感さえ覚える展開というか。
例えば、
僕と彼女と彼女の恋人との、明るく楽しい思い出を語ったすぐ後の行に、
「彼の葬式の三ヶ月ばかりあとで、」
と入る。
こういった快い展開はさすがだ。

ノルウェイの森と同じく、
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」
という話。
本当に静かで、綺麗なお話。


「踊る小人」

ちょっと不気味なおとぎ話だった。
イメージとしては、「オズの魔法使い」に出てくる小人が踊っているような気がした。
夢の中に出てきた小人が、現実に係わってくるお話なのだけれど、
「現実」と設定されている世界で、主人公は、象を作っているのだ。
人間に比べてのんびりしていて、
放っておくと4〜5年に一頭しか子供を産まない象を水増しするために、
本物の象の一部を使い、残りは人工で作り、
どんどん象を生産する工場で働いているのだ。
読んでいるこちらは、小人が現れる世界が夢なのか、
象を作っている世界が夢なのか、分からなくなってしまう。
「もし僕がひとつの夢のために別の夢を利用しているのだとしたら、本当の僕はいったいどこにいるのだろう。(112ページ)」

最後は小人と同じように国家から追われる身となる主人公。
夢と現実が解け合ってしまったのか、
それとも最初から全て夢だったのか、
なんとも気味の悪いお伽噺だった。



「納屋を焼く」

小説家である主人公と、その女友達。
そして、その女友達が連れてきた、「最初の、きちんとした形の恋人」である紳士。
その、「まるでギャツビイ」(「グレート・ギャツビー」の事だろう)のような紳士が、「納屋を焼くんです」と独白する話。

一度読み終えた後に、喉の奥に残る何とも言えない不快感。
それを確かめようと、すぐに読み返した。
すると、胸に何かが支えている。
小さな、確実な恐怖。
怖いんだ。この話。
でも、何が怖いのか、はっきりと分からない。
でも、怖い。直感がそう言っている。

何度か読み返し、感じた。
「納屋を焼く」とは「女性を消す」事なのでは無いか。
消す方法は分からない。
殺すのかもしれない。
神隠しのように、消してしまうのかも知れない。
分からない。

「納屋を焼く」という事の本質には触れずに、
この「彼」は、大麻を吸うというのと同じような犯罪行為をしているのだと、はっきりと主人公だけに告白する。
つまり、「納屋を焼く」という事が「犯罪行為」であると自覚した上での行動。
また、「焼くのに適した」納屋を選んでおくという計画性。
そして、女友達と共に主人公に会いに来たのは、
「次に焼く納屋の下調べに来た」のだと言う事。
後日、久しぶりに彼に会う。
彼の車についた傷。
消えてしまった女友達。
消えた事に大して、「いつもの事だから」と関心を持たない主人公に対して、「一文なしで、一ヶ月半も、十二月に」消えたという事、「彼女には本当の友達はいないのだ」という事を強調して、何かを伝えようとする彼。

あ、やはり。これを書いているうちに確信に変わってきた。
彼は、彼女を「消した」んだ。
彼は、焼くのに適した納屋について、こう言っている。
「世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな僕に焼かれるのを待っているような気がするんです。」
「まるでそもそもの最初からそんなもの存在もしなかったみたいね。誰も哀しみゃしません。」
この、「納屋」を「女」に代えると、なんだか通じるような気がする。
世の中にいっぱいいる女。
消えても誰も哀しみはしないような「納屋」を「焼く」。
そして、実際に消えた女友達について執拗に尋ねるのは、
主人公に、何かに気づいて欲しいというサインなのではないか。
「納屋を焼く」と独白したのも、サイン。
決して、自分の犯す行為を止めてくれというサインでは無く、
もっと違ったサインのような気がする。

ものすごく怖い。
これだけが正解では無いのだろうし、
そもそも正解など無いのだろうけれど、
それにしても怖い話だ。

ぼんやりとしたイメージを残し、
しかし、そこからはっきりとした「恐怖」だけを残すという、
この話は凄いと思う。
つまらない言い方しかできなくて悲しいけれど、「凄い」と思う。




**:『1973年のピンボール』 続き

先に載せた、『1973年のピンボール』を読んでの感想文(の、ようなもの)(http://haru222review.blog64.fc2.com/blog-entry-55.html)について、下記、追記です。よろしければお読みください。

私は『読書感想文』を書きたいと思っていました。
小学生の頃、皆の前で読んだような、教科書通りの感想文を。
しかし、感想を述べようというまえに、文字から感じ、そこから広がる、自分の中に生まれたもう一つの世界が私の脳の中を占めてしまいました。
というより、勝手な「解釈」と言った方が良いかも知れません。
そして指は勝手にそれらを入力していました。
結果、『これは、感想文じゃ、ないよね』という、『なんてこった文』が、出来てしまったのです。

感想、というのはそもそもどういったものなのか、忘れてしまいました。
もしかすると、もっと本から距離を置かないと出てこないのかも知れません。
ところが、「1973年のピンボール」を読んだとき私は、自分の肉体がここにあることを忘れ、脳内に広がるこの景色は、自身が既に経験してきたものではないかと勘違いしてしまうほど、その本に支配されてしまいました。
主人公の「僕」は確かに、傍から見れば少し狂った生活を送っている。
しかし、その中で彼が感じる感情といったものは、誰もが経験する「自由というものへの憧れと、失望」のではないかと思えるのです。

私は昔、自由になりたかった。
しかし、手に入れた自由は混沌とし、出口の見えないトンネルで、私はこのままここに閉じ込められてしまうのだろうかと、日々不安を抱きかかえていました。
自由、青春。
そういった瑞々しく、甘美な言葉達は、私の心を掴んで離さず、早くその世界へ行きたいと思わずにはいられませんでした。
大人って何だろう。大人にはなりたくない。私って、何だろう。
答えの見つからない疑問を、日々頭の中に巡らせ、悩みたくて悩む日々。
今でもぐるぐると自分の尻尾を追うように、悩みを追いかけてはいますが、あの頃程ではない。
きっとそういった時を、人は「青春」と呼ぶのではないでしょうか。
そして、それらを濃縮して描きあげたものが、「1973年のピンボール」ではないかと思います。
それを読んだ人は、それぞれに胸を締め付けられ、自分の経験した「出口のないトンネル」を思い出し、しばしそこから抜け出せなくなる。
村上春樹の綴る文字達は、ぺらぺらめくる写真集のようで、文字を追いかけるとそこに様々な景色が浮かび上がります。
その後ろに見える、「僕」や「鼠」の動き。
合わさって脳に訴える「何かわからないが、胸がキュっとなる」感じ。
読む人に寄っては、この本から全く違う事を感じるかもしれない。
しかし私は、何度この本を読んでも、やはり、ここから感じたものは、自分の歩いてきたあの、真っ白な靄に包まれたトンネルの景色でした。

私が先日書いたあの、『なんだこれ文』は、感想文とは呼べないでしょう。
しかし、私は本を読んで、その主人公になって、もう一度物語の中を歩いてみたのです。
すると、文字には書いてなかった世界が見えてきた。
それは、私が「見たい」と思っていた景色かもしれません。
また、作者は全く想定していなかった景色かも知れません。
でも、いいんです。
私にはそれしか見えなかった。
読書って、そういった、その人それぞれに感じるものが違っていて良いものだと思うからです。

これにて、反省を含めた「読書感想文みたいなもの」は、おしまい。
読んでくださってありがとうございました。

**:『1973年のピンボール』

1973年のピンボール 1973年のピンボール
村上 春樹 (2004/11)
講談社

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僕には、鼠なんていう、もう一人の僕なんていないことを、確認するために。
僕は、盲なんかじゃないって、思い出すために。
それはまるで、ピクニックに行くように、僕の心を躍らせた。
しかし、そこへ向かう道中は暗く雨が泣いていた。

会いに行った彼女は、なんら変わってなかった。
しかし、僕らを包む空間は、変わりすぎていた。
時間という、残酷な風が、僕らの間を急激に吹き抜け、僕らが触れ合うことをやめた時間を責め立てた。
彼女に触れながら、泣いた。
『時間は流れる』という事を、思い出した。
『世界は回る』ということを思い出した。
もうすぐ、そこに、出口があるということに気づいた。
そして、それらを『彼女』は、ずっとずっと昔から知っていた事に、気づいた。

僕はもう、盲ではなかった。
盲に戻ったらまた彼女の声を聞けなくなる。
そのために『思い出』が欲しいと思った。
『思い出』に、時間や混沌は付け加えたくなかった。
だから、僕らは、彼女と新たなスコアを作ることを避けた。
そうして、僕に美しい過去をプレゼントしたんだ。
そうして、僕は彼女を美しいまま、あのヒンヤリとした冷凍庫に『埋葬』した。
静かな箱に並べられた『彼女』は、まるでこれからもう一度生まれようとしている胎児のようだった。
扉の向こうは、ひどく寒かった。

僕と鼠は、出口のないトンネルにいた。
僕は、出口の光を目視した。
僕は、一人でそれに向かって、まっすぐ歩こうとしていた。
今、僕から見放された鼠はどうしているだろう。
ふと思い出す。
分からない。
分からなくても、いいのかもしれない。
鼠はもう、死んだかも知れない。
鼠はもう、あの暗い海に帰ったかも知れない。

僕らは、昔、青春という、自由で混沌とした靄の中にいた。
僕らは皆、盲で、その中を千鳥足で歩いていた。
僕らは世界なんて知らなかった。
それは、知らなくても何の問題も無かった。
僕らの周りには薄い膜があって、それを通して触れる外界はとても遠いものに見えた。


今、僕は振り返ってみる。
傾斜の緩やかな山道を、僕は相変わらず登っている。
しかし、あの時のトンネルはもう、見えない。
いつあのトンネルを抜け出したのかさえ、思い出せない。
しかし、僕には『バックギア』という装置がなくて、だから僕は、あのトンネルに戻ることを許されない。
僕にはあのトンネルがあったことを忘れるという事が許されない。
それは時折、僕の心を優しく締め付ける。
きっと、今感じている時間という風が、そのトンネルの中の世界を美しい思い出にしてくれるだろう。
そうして、また一つ、僕は僕に、美しい過去をプレゼントしてあげるんだ。

僕はつまり、胎内にいたのだろう。


『1973年のピンボール』を読んで。
「僕」と「鼠」へ
「僕になってみた私」より
haru

40:『羊男のクリスマス 』

羊男のクリスマス 羊男のクリスマス
村上 春樹、佐々木 マキ 他 (1989/11)
講談社

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38:『ふわふわ』

ふわふわ ふわふわ
安西 水丸、村上 春樹 他 (2001/12)
講談社

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『ふわふわ』
村上春樹 著
安西水丸 絵
講談社文庫

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